D-Soul公演感想

 

6/30,7/1

創作表現集団D-Soul不定期公演『普通の愛』『4 Angels』感想。

※4Angelsについては追記予定

 

 

『普通の愛』。

 

 

真次。
ああ、最低な男だなと。女性が「サイテー♡」とちょっと嬉しそうに言っちゃう感じのモテ男ではなく、本当に駄目な男でした。

自分の特性を解っていない。
婚約者の気持ちを解ろうとしない。

頼ってくれる忍さんとは直接会って相談を受けるし、気楽にいられる渚の部屋には入り浸る。


「俺は自然に生きてるだけだ」と言っても、自分の言動が周囲に及ぼす影響を考えたうえで配慮するのと、そこに想像を巡らせられないで思うがままに動き回るのとではわけが違う。

 

美雪が婚約者ではなく、単に今付き合っている恋人であったのなら彼女もあそこまで疑心暗鬼にはならなかったかもしれない。
が、たぶん真次は、枷があると嫌なのでしょう。婚約者どころか特定の恋人すら持たない方が生きやすいのかもしれない。
それを自分で解っておらず、周囲を振り回してしまうのが厄介なところ。

 

美雪。
(モチをつきながら)「やっちまったなぁ!!!」としか言えない。
婚約する迄に、彼にそういった部分があることを見極められなかったことが痛恨の極み。
もしくは見極めたうえで『婚約を期に変わってくれる』『真次さんを変えてみせる』と思っていたのなら、甘い。それは彼女の力量不足ということでもなくて。

 

忍。
彼女もやらしい部分あったと思います。
昔馴染みで、真次が断れないことも充分わかっているだろうに「ここから先は地獄よ」みたいなことを言いながらも助けて欲しいみたいな雰囲気を出しまくる。
だとしたら、「ここから先は地獄よ」は後の免罪符として機能する。「あのときちゃんと忠告したじゃない」と。
それは彼女の逃げ道です。

 

渚。
一番、正直で好感の持てるキャラクターでした。
どこまで現況を解っていたっけ?真次が忍さんの相談受けてることは知ってて、婚約者のことも知ってて?
彼の優柔不断な面も理解していて、それだったら婚約者ができた時点で、彼が気軽に甘えてくることも拒まないといけないと思うけど、渚も彼のことを想ってるから受け入れてしまった。
諦めるか奪うか、どちらかに振り切れずに中途半端にいてしまったことが彼女の失敗かなあと。

 

 

殺害後の取り調べシーンは蛇足だと思いました。

 

結局明らかにしない犯人を探すためだけに場面が使われていて、三人の台詞も取り調べに対する回答だからか、ほぼ要領を得ない。

“誰が犯人か解らないけど、真次の行動の結果、彼は刺されてしまった。”

というだけなら、例えば、例えばですが、刺された彼が倒れた後に三人の声を混じらせて「「「貴方が悪いんだからね」」」みたいな台詞を響かせる、とか。その後、彼が亡くなった後のそれぞれの気持ちの独白、とか。

とにかく、いい感じに刑事もののような雰囲気で、また司山さんが格好良く演技してらっしゃるもんだから悪目立ちしちゃって、余計に取り調べシーンにはストレスを感じました。
(中には女性達の、彼の死を受けての気持ちの吐露も混じってはいたんでしょうが、外周をぐるぐる回ってるだけの様な話を長々と見せられたらダレます。観客は重要なピースを見つけられない、拾えない。)

 

あと、BGMが常に流れているのも気になりました。

各場面ごとに合う曲をチョイスしててこだわりがあったようですが、台詞とBGMがお互いの邪魔をし合っているように受け取ってしまいました(音量的に)。

聴覚への情報量が多過ぎて、処理が追い付きません。そのうえ辛気臭い話だしで、観終わった後はクタクタでした。

 

 

『普通の愛~What is love?~』と銘打ったこの作品を観て、愛についてよく考えさせられました。

 

自分なりの考えなんですが…
あちこちで女性と二人で会いまくるってことそれ自体が悪いことではないと思うんですよ。
真次が、自分にそういった傾向があることを省みずに野放しにして、その傾向を悪しとする環境に身を置いてしまった。
それが失敗というか、不適応だったなと。

 

別にあちこちの女性を口説いてるわけじゃなく、たまたま、“助けたい人”も“気楽に過ごせる相手”も両方女性だっただけ。というのなら、婚約者を慮って、美雪が傷付かない形での関わり方に留めなければいけないし、それが煩わしいのなら婚約なんてしなければいいんです。

 

クズ男クズ男言われてますが、クズにはクズなりの身の振り方がある。

恐らく美雪が婚約者に求めることは“自分だけを見てくれて、互いに支え合える人”。
真次が婚約者に求めることは“自分の行動にうるさく口出しせず、側にいて癒してくれる人”。か、…もしくはその辺ふわっとしていて定まっていなかったのでしょう。
数々の女性を渡り歩いてるサイテーモテ男達は、ここの齟齬を発生させない。それぞれの価値観を察知し、擦り合わせ、巧く立ち回っている。(それで何人もと関係を持つことが必ずしも幸せなのかといったらわかりませんが。)

 

とはいえ、我々“普通”の人間は大抵がそんなに冷静に分析して対人関係を築いてなどいけない。
“愛”が絡むと、なおのこと。

 

 

だからこそ、一人一人が己の愛の形をよく知り、大切にし、丁寧に表現すること。


白馬の王子様は存在しないし、ある日突然空から美少女は落ちてこない。


パズルのピースが綺麗にはまることはないかもしれないけど、せめて近い形を見つけて、ぶつかり合って角が取れて丸くなったりして、どうにかこうにか収まる。


そこを目指して努力を続けていくことが“愛すること”なのかな、と思います。